石坂浩二さんが水戸黄門をおやりになると聞いたときに、僕らファンとしては、今までの黄門様とは違う黄門様を見せてくれそうだなという期待感が浮かび上がったんですけど。
  いやそれはね、自分で感じるよりも、この水戸黄門というのは、作品のすばらしいところのひとつにロケーションが多いと。そしてやはり京都ですからまわりの美しい自然を取り入れた絵があってということがありますよね。
ロケーション行って、いろいろな方々、行楽客の方をはじめとしてこちらに住んでいる皆さんにね「期待してますよ」とか「是非見ますから」と声をかけられて最初はうれしかったんですけど、だんだんやっぱりこうプレッシャーというかな感じましてね、まあこれは本当にがんばらなきゃいかんなというのを、今逆にしみじみとね感じているわけですよ。
放送もなにもしていないうちからそういう声をかけられて恐縮をしてしまうんですけどもね。
そういったプレッシャーというものに対する役者魂がメラメラと盛り上がってきてるんでしょうね?
そうですね。けどこれは自分一人じゃどうにもならないところもあるんですけど。
まったく自分の考えとしては・・・
自分の中にもあるんですよ今までの水戸黄門様が・・・
ですから、それをこうまず置いといてというか・・・、
それでやっていかないと・・・、
まあ本当に新しい番組をやるつもりでと思ってやっているんですけどね。
それでは、いちファンとしては今までの黄門様のイメージというものを持たないほうがよろしいという事ですか?
そうですね。そう言うふうに持たないとういか・・・
第1話から是非ずっと見落とさずに見て頂いて、いくとあー黄門様というのはこういう面もあったのかという発見につながるかという気もするんです。
30年もやっている番組ですからどうしてもこちら側の先入観があったりしますけど、本当に石坂黄門の第1話から、見ていくと黄門様のプロセスみたいなもの、全体像みたいなものが見えてくるということですか?
そういうことです。
もちろん1週1話完結なんでしょうけれども・・・
いや、それがねそうじゃないのもあるんです。
終わりのほうで次の話にだぶってたりとか。
その辺もまたちょっと違うんです。
それじゃこれはもう是非連続で見ていただかないと・・・
ええ、続けて見て頂くと本当にこう一緒にずーと生活しているというか暮らしているような感じになるんじゃないかと。
ひげがありませんね。これはどのような経緯で。
今回は光圀、黄門なんですが光圀という人間の晩年を描こうとうのが一番基本にあるわけです。
元禄時代というとね不思議なことに、いろいろな事のはじまりというのが元禄時代なんですよ。
今だに続いているようなことがたくさんあるんです。
日本の言ってみると近代文化の礎になった年と言うんでしょうか時期というんでしょうかね。
非常にちかいものがある訳ですか?
もちろん近いという考え方もあるでしょう。
その中のそういうものも紹介したいということもありました。
それから元禄であるということをもう少し表面に出そうということになると、元禄時代というのはひげがないんです。
一番洗練されていた時代というか、だんだん国も徳川の力が隅々まで及ぶようになって、まぁ3代将軍のおかげでしょうかね。1代2代と3代と礎が築かれましたよね。
その時にやはりそれまで武士がひげをつけていたのは無粋だというふうになってくる訳ですよ。
それでもっと粋にいこうじゃないかということでひげが無くなってしまうんです。ひげは主に賊というのが下につくような人た
ちが生やしていたけれども、諸国大名の方たちの肖像画を見ましたけれども、一人もいない。
それでは時代公証に則った上での黄門様のスタイルな訳ですね。
そうですね。それとやはり人間らしくとなるとどうしても表現するいろいろな表情がたくさんある人なんですよ。
だいたいが本当に今に繋がるというと有名な話ですけど例え
ばラーメンを日本で最初に食べた人とか、ラーメンを実際手打ちで打っていたとか、それから薬草の植物園を持っていたとか、それからエコロジー的なことを考えていたとか、今で言う、その環境問題から何からすでにいろんなことを考え、非常に多くの本を書いている人なんですね。
ですから、そう言う意味でねそういう顔を出すっていうことも必要ですけどね、そういう顔を出していくに従って表情的には、僕はもっとたくさん見せて行きたいなと思うんです。
その時にね、逆にいうとひげってすごく邪魔になるんです。いや、本来、自分ではやせばいいんですよ自分で。
でも、あんな白いひげははえてこないでしょ。
水戸黄門といいますとどうしてもイメージとしては印籠が出てきますけども、今回は印籠はどのような扱いになりますか?
この水戸黄門の番組のすばらしい点というか、長いこと続いた秘訣はみたいなことの中に「起承転結」ってありますよね。その4つが非常にこう時間的うまく構成されている。
必ずこの「転」のところの終わりに印籠が出てくる。時間的な配分ですね。それは非常に見事でそれは踏襲しているんですが、今回は今までみたいに格さんがウワァと出すという
のではなく、そうじゃないときもある。
例えばあれは元々私が身に付けているものですから。
そう、何であいつが持っているんだという。いつからそうだったのかはよくわからないんで、今回は預けるところなんかは預けるというのがあります。
そういうシーンもあるし、それからあとは私も付けています。
最初は水戸の中が多いんです。今まで水戸の回りの話が無かったので、水戸に隠居して西山荘というのを建てますよね。その回りの事件というのがあるんです。
その時にはもう安心していますから、下げっぱなしでしょ。
それで思わず嘘をつくんだけどバレてしまうというのもあります。見られちゃった!なんていうのもあったり。そういう使い方とか。それからあとは自分の代わりに使いにやる者の身分
を証明するために預けるとか。そういう使い方もします。
ですから最初の大疑問の何で格さんが持っているんだというのは大分なくなりまして、いろんな使い方をするということ
になると思うんです。あの時代「葵のご紋」を勝手に使うとそれこそ死刑ですからね。
ですからそういう意味では大変なことだったと思うんです。
そういうようなところっていうのもね、やっぱり出していかないと、出せばいいのかという感じにならないようにっていうのがあると思うんですけどね。

TBSテレビ「新水戸黄門完全ガイド」より



このサイトについてのお問い合わせは e-mail:cal.info@cal-pro.jp まで。
Copyright (C) C.A.L All rights reserved.