小説と映像作品は別のものです。文章表現の可能性はある意味で映像作品を凌駕してい
ますし、映像作品の醍醐味は文章で表現し切れるものではありません。どちらが優れてい
るかというような問題ではなく、別のものなのです。小説を原作として映像作品を制作す
る場合、その違いをきちんと踏まえて取り組む必要があると考えます。小説家は映像で表
現できないものを伝えるためにわざわざ小説という手法を選択している訳で、それは簡単
に他の表現に変換できるものではないはずだからです。
 この「怪」という作品は、同名の季刊誌「怪」(角川書店刊)掲載の連作小説「巷説百
物語」を原作としています。しかし、映像化にあたっては、企画の山田誠二氏、監督の酒
井信行氏らとの入念な協議の結果、原作をそのまま使用することはしませんでした。勿論
先に述べたような原作者の意図を汲んで戴いた訳です。従って本作は、設定やキャラクタ
ー、テイストは原作に準拠しているものの、映像用の完全オリジナルストーリーを基本に
制作することになりました。(シリーズ4作中、1作は原作に材を採っています。比較し
て戴ければ原作との違いがお判り戴けると思います)。
 さて、原作の小説が掲載されている季刊「怪」という雑誌は、水木しげる氏、荒俣宏氏
と原作者を中心にして構成される「世界妖怪協会」の機関紙でもあります。「世界妖怪協
会」は、平たくいってしまえば、妖怪文化の保護・研究・復興・普及を目的とした団体で
す。妖怪とは何かということを一言で述べることは大変難しいのですが、敢えていうなら
ば、怪異を用いることで世界を認識する方法ということができるでしょう。
 一方で、その怪異自体を表現する形式として怪談があります。例えば文芸に於ける怪談
は非常に高度なテクニックを要する表現形式として捉えることができます。怪談は表現の
形式であり、妖怪は認識の方法なのです。原作の「巷説百物語」は妖怪を扱った小説では
ありますが、怪談小説の形式は採用していません。従って、厳密にいうと原作は妖怪小説
であっても怪談小説ではないのです。
 しかし、今回の映像化に当たっては「怪談映画」を意識することで意思統一がなされま
した。
 怪談小説がそうであるように、怪談映画もまた、決してホラーでもスプラッタでもあり
ません。ただ幽霊が出て来るものでもありません。ある時期一世を風靡した怪談映画は、
演劇的・絵画的怪異表現の末端に位置するものではあるものの、文芸に於ける怪談、語り
ものとしての怪談とも接続し、またそのどれとも一線を画す、独自のポジションを持った
ジャンルだと考えます。その伝統的手法を踏襲することが、妖怪小説を原典とする映像作
品には相応しいだろうという考えを採用したのです。
 ただ、文芸に於て怪談が衰微の一途を辿っているのに輪をかけて、怪談映画も絶滅の危
機に瀕しています。本来怪談映画と呼ばれても良い作品が別の名で呼ばれ、怪談でも何で
もない作品に怪談の名が被せられて公開されるーーそうしたことが繰り返されているのが
現状です。加えて、原作者が愛好して止まない「時代劇」もまた、不振の二文字が冠せら
れて久しいジャンルであります。
 そういう意味で、今回この企画が「怪談時代劇」のテイストをふんだんに盛り込んだも
のとして発動できたことは、大変喜ばしいことと考えております。
 企画進行もさることながら、現場スタッフの方々も今までの時代劇映画を一身に担って
来られた最高の顔ぶれに恵まれました。その研鑽しつくされた熟練の技が、俊英酒井監督
の斬新な感覚を如何に具現化するのか、一時代劇ファンとしても期待して止みません。そ
うした仕事に関わることができたことを光栄に思うとともに、本作が単なる懐古趣味的な
復興ではなく、現代に於ける新生「怪談時代劇」の先鞭となることを、切に願うものであ
ります。


京極夏彦

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